LADYISM

書く練習

感謝の対象

経済的に恵まれていない国があって、

その国で夜、牛と眠る少年は幸せそうに微笑んでいて。

 

経済的に比較的豊かである日本は、

みんな温かい服装をしているのに死んだ目をしていて。

 

 

 

感謝できることがあるってのは、今自分が生きているって実感することだと思うんだよね。

 

けれど、感謝できる対象が多過ぎてしまうと
人間は感謝を忘れてしまうのかなあ。

 

 

 

〈 気をぬくと死ぬ〉という状況が日常の中に多少なりとも存在するってのは、人間にとって、生きるもの全てにとって、めちゃくちゃ大切なのかもしれないなって思った。

 

自分は気をぬくと死ぬ存在なのだと認識して、そういう自分を受け入れて日々を過ごすと、なんか些細なことがとてつもなくありがたく感じるのかもしれないなあって。

 

 

 

 

まわりが便利で生き易過ぎると死んじゃいたくなるから、一度自分を再起動させて(再起動するにはシャットダウンさせる必要がある)、身の回りの些細な事に目を向ければ自然と感謝は湧いてくるな。

 

蛇口をひねれば水が出るとか、

温かい布団で眠れるとか。

 

 

私は演技が好きだ、違う自分に会えるから。

ディズニーの歌に合わせて口パクで踊るのも好き、悲劇のヒロインや妖魔になったり。

 

それを意識的にやっている節がある。

意識的に演じているので、演じていない状態の自分を知っている。

 

 

 

マリーアントワネットはフランスの皇后という役柄を演じさせられている事に気付いて、自分の心を優先させることを選んだ。けれど周りはそれを許さずに彼女を皇后という役から降ろしてはくれなかった。

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(画像:田園生活を送るマリーアントワネット)

 

皇后の役になってしまったから、処刑されてしまった。不遇な運命だったけれど自分の心を優先した彼女が好きだ。

 

彼氏彼女、お父さんお母さん、子ども、社長部長平社員、店員さんに駅員さん。みんな〈何かの役〉を気付かないまま常に演じていて、ほとんどの人は次から次へ〈なにかの役〉から降りることはなく、人生を終えていく。

 

〈なにかの役〉を演じることは悪いことではないし、演じるうちに自分を見つければよい。けれどもその役から降りるまでに自分の心を見つけておかなければその人は崩れてしまう。役柄を演じるだけに徹することなく、時々は童心に返って役から解放された自分とのんびり向き合うといいかなと思う。

10年はやい

例えば美味しいお酒を飲もうとして

『お前には10年はやいよ』って言われる。

 

新しいものができた時って、その逆のことが起きてる。

若い人って新しいものをどんどん吸収して順応できるけど、片や年齢を重ねた人はなかなか追いついていけないし使いこなせない。

 

若い人から見れば

『あなたには10年遅いよ』だし

『産まれるの10年早いよ』だ。

 

自分もすでにそういう年齢になりつつあるのかもしれないし、かなりこわいけど、実際何かを吸収するのに遅いも早いもないしな。

 

 

 

だから私は色んな時代の色んな情報に触れることを心がけてる。いつの時代を生きたのかなんてごちゃ混ぜにしちゃえるし、知らなかったことは自分にとってはいつだって新しいものだ。

 

時代の流れを汲み取るのは、器用に生きていくのには必要なのかもしれないけど、ごちゃ混ぜになったものを自分の中で大切にするのはとても好きだな。

 

 

でも…

ミド・ファド・レッシー・ソラオだし

クレヨン王国だし

椎名林檎の本能とジュディマリがすごく嫌いだったし

ミニ四駆も1つだけ作ったし

なんか少し、生きてきた道の臭いがついてるんだな。

運命

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この世の出来事はすべて偶然。

この世の出来事はすべて必然。

 

どちらが正しいんだろう。

もちろんそんなことで頭をいっぱいにして生きていくつもりもないんだけど。

 

今日ふと、運命は『そうなんだ』と自分で決めた時から決まるのかもしれないって思って。

自分で決めるまでは運命なんてものは形を成していなくて、例えば、

「あの人は毎朝すれ違うし、笑顔ですれ違うから運命の人なんだ。 」って決めちゃった途端に朝が来るのが待ち遠しいし、その人はあなたにとって特別な人になる。

 

けれど朝同じ人とすれ違うことなんて生きていると数えきれないほどあって、その中でこの人特別だなって無意識にピピピと意識を集中させるから特別なのかなと思ったんだよ。

 

だとしたら、信じていればいつの日かきっと夢は叶うのかもしれないし、

叶わないってすっかり思い込んだらその夢は叶わないんだろうなあ…って思っちゃったな…。

 

人間原理】っていう一見、恐ろしく世間知らずで自己中にさえ思える

「 宇宙が人間に適しているのは、そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないから」という考え方があるんだけど、それを一概に否定できないような気がしていて。

 

 

もしかして運命は自分で作っていけるものなのかもしれないよね。

簡単じゃないだろうけどそうだったらきっと楽しいし、

きっとそうだと信じてる。

 

裁定する〈健康〉

昨今の健康ブームに良い印象はあまり持っていない。

ガラスと煙の檻に閉じ込められた分煙オジサンたちや、味気ない低カロリー食品を忙しく選別し摂取する女の子。

 依存や罹患を勧めるわけではないが、自己を律しすぎるのもどうだろう。ましてや他人に律すことを強要された日などは『自分と同じ主義の人以外は排除』って言われている気がして堪らない。

 

みんなよく毎日毎日頑張っているんだなあと思う。嗜好品や好きな物で自分の中の小さなストッパーを外すくらい許されてもよいのではないか。

それは他の人が侵すことの出来ない、生きていると感じられる場所だ。

 

全然話変わるけれど、煙草を燻らす姿はカッコ良いものであり続けて欲しいし、病弱な青白い美少年の美しさは失われてはならない。

不安定を求めて歩く

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ヒールのある靴を履くと身体の内側がまっすぐ整う気がする。

その状態をキープしたまま、頭を上下させずに平行移動で歩く。階段を下る時も頭を上下させない。これはなかなかキツい。

キツいが、ガラスに映ったスッと歩く自分の姿を見るのは悪いものではない。

キツいことを我慢して良かった、とすら思える。

 

これは履物だけの話ではなく、日常生活全般に言えることで、あえて時々不安定な状態に自分を置くのも必要なのかもしれない。

(ただし、夢を描けない苦痛な場所で自ら不安定になる必要はない。例えば私であれば、ヒールを履いて美しく歩きたいので多少の不安定さは耐えられるものだから。無理をするという意味ではない。)

 

スニーカーを履いて地面をしっかり感じて歩くのも確かに素晴らしいが、針金の上をヤジロベエみたいにバランスを取りながら歩くのも精神が「キッ」っとなって気持ちがいい。

 

そうして思いがけず、心の大切なところに〈筋力〉がついたりすれば、儲けものです。

LADYISMって

もうどこかにいっちゃった、昔書こうとしたブログの題名も《LADYISM》だった。

 

レディズムという言葉は雑誌出版社にお勤めのお友達と話してて、たまたま彼女が口にした単語で。

 ダンディズムは聴き慣れていたけど、レディズムは聞いたことがなくて、今でもお気に入りなので、名刺の裏に書いています。

 

私は、 どんな人も内側に男と女を独自のバランスで持っていると思っていて、そのこと自体に名前やカテゴリーなんてない。

LGBTは最近よく聞くし、おなべにおかまにニューハーフに女装子に男の娘に…その他はごめんなさいあまりよく知らないのだけれど…

 

けれどあえて、それらの型に自分で自分を押し込むより、自分がどんな人かどうなりたい人かって、最終的には自分が1番よく知っているなと思っています。

 

個人的に目標というか、美しいと感じるのは淑女(レディ)で、そのことをできるだけ意識していようと思って、だから《LADYISM》

 

自分なりの《ism=主義》を持ち続けようと思っている、それだけ。笑