LADYISM

書く練習

なにごとも経験?

なんでも経験とかいうけど、経験を役に立てられるかどうかって本当その人次第だよな。

ただ『経験を積むこと』『なにかをやること』が目的になって、手当たり次第に色々経験してもどうなんだろ。

 

その前に自分はそれを『経験してみたいのか』を自分で決める必要がある。

経験したいのかよくわかんないけど、いつか読んだ本で、どっかで誰かが『なにごとも経験、人生無駄になる事なんてない』って言ってたから、とりあえず興味もないけどやってみるか…。

で、なにを得られるのか…?

 

経験するにも何か考えがあって、やってみて、楽しみとか痛みとかを知って、次に生かす。

そんなに必要以上に見つめ直す必要もないけど、『これはナシやな、やってはいけないことやな』とか『おっこれはいいやん、楽しいやん、じゃあこれもやってみたら楽しいんじゃないん?』みたいにどんどん自分の世界を広げていく。

間違えたと思ったら、ちょっと頭を冷やしてまた違う方向に進めてみる。

 

やりたいことない人っているのかな。

私はあるなーやりたいこと沢山。

やりたいこと別に無い人はどうすればいいんだろう。

やりたいことが無いことは悪いことではないけど、じゃあどうするのか、どこに向かうのかは自分の心と向き合って決める必要があるのだろうな。

やりたいことないんだったら、やりたいことが見つかるまで、とりあえず毎日を一生懸命生きてみる…とか…?

で、いつかやりたいこととか興味湧くものが現れるのを待つ…?

いや、『私はやりたいことが無いんだ』って自分の中で腑に落ちた人は待たなくてもいいのか。その人の中ではやりたいことが無いことは悪では無いのだから。

 

え、どうなんだろう、自分がもしなんのしがらみからも解放されて、生活費を稼がなくても良いのだとしても、やりたいことない人っているのかな。

仕事一筋のサラリーマンが定年退職して、自分とは何のために生きてるのか…ってなってしまうようなことを聞いたりもするのだけど、それに似たようなことなのかな…。

 

とくにやりたいことが無くて、でもそんな自分が好きだし、毎日楽しいです。っていう人と話してみたいな。

 

※3/16追加

あの時経験してよかったなぁ、って思うのは過ぎた後なんだよな。『経験』はストックしようとするものではなくていつのまにかストックしてるものなんだよ。

経験を積むためならビルから飛び降りるか?人を殺めるのか?

君は何のためにそれをしたいんだ?

自己肯定感はどうやったら高くなるのかな〜

自己肯定感についての、人の呟きをみて、自分の自己肯定感が低かった頃のことを思い出した。

 

いつか書いたことがあったかもしれないけど、口癖は『どうせ』だった。

物事を捻くれた見方をしていたし、自分なんて何もできないと思っていた。

 

そんな自分を変えてくれたのは(これも前に書いた気もするけど)ジャズダンスライブだった。

先生がカッコ良かったのは勿論だけど、今思えば出演しているみんなが素敵に輝いてた。

 

先生が私を変えてくれたのだと思っていたけど、多分変えてくれたのはあの空間なのだと思う。

舞台で演じる人は、自分のこと否定している場合じゃない。恥ずかしいなんて思っている場合じゃない。

楽しいから舞台に出ていて、自分を『見て!!』って感じで。

 

そんな人たちから伝わるパワーって半端ないんだよなー。

その空気感に負けちゃったんだと思う、ウジウジ考えて否定ばっかりの自分は。

 

私の自己肯定感がグンと上がったのは、そういうキッカケだから、体験に基づいて言うのであれば、なんか自分のことが好きになれない人は、自己肯定感が高い人が沢山いるところに行けばいいんじゃないかな。

 

勿論誰か目標だったり憧れだったりする人がいるのも素敵なことだと思う。

でも人って完全じゃないから、その憧れとする人にも色んな面があって、それが見えた時失望しちゃうんじゃないかな。

『あ〜やっぱこの人も、そうでもないんじゃん』って。

でもその『そうでもないんじゃん』が、『この人も私と一緒で人間味があるんじゃん』ってうまく働けばいいけど、まあ自己肯定感低いときにはそんな風には考えらんないんだよね。

 

『あなたなら私を救ってくれると思ったのに』

 

ってなっちゃうんだよね。そしてその人に失望して、そんな人に憧れた自分にも失望して、自分が自分の事を好きになれないことをその人の所為にして。

 

だから自己肯定感が高い人が沢山いるところに行けば、別に誰の所為にできるわけでもないし、自分が自分を嫌いなのは自分の所為だなって気付くと思うんだよね。。。

 

と、ここで簡単に考えて欲しくないのは、『〈私にとっては〉自分を舞台で表現しまくっている人達を見ることで自己肯定感が上がっただけ』

なので、これを読んでいるあなたにとっては、何の意味も為さないかもしれないです。

もしかするとあなたにとっては『しっかり自分の頭で考えて、人と対話しようとしている人たち』と触れ合うことで革命が起きるのかもしれないし、『植物から人間の生き方を学んでいる人たち』とか『人間は愚かだけど、愚かなりに一生懸命生きようとしている人たち』との出会いなのかもしれないし、はたまた『渋谷のクラブではちゃめちゃに楽しそうなパリピ』かもしれないってことです。

あなたの人生は、私の人生とは違うはずだからね。

 

で、どうすればいいの?って言われても困ってしまうのですが、今夜考えたことでしたので、流してください。

被害者⇄加害者

最近、よく考えるのは、

強く生きるための自信や自己肯定感、自分は正しいという傲慢さで、周りの人を傷付けているかもしれないということ。

 

ずっと被害者顔をして生きてきたのだと思う。

自分は他の人とは違うから特別なんだと、甘やかされるべき存在なのだと思って生きてきたのだろう。

 

自分が加害者側にたつかもしれない可能性を全く考えなかった。

時折他人から向けられる恐れや、苛立ちに対して、なんで自分が疎まれなくてはいけないのだろうと不思議に思っていたし、それに対してこちら側が苛立ちを覚えていた。

 

でも相手からの信号が、苛立ちや恐れなのだとしたら原因は対面している私にあるということになる。(相手が不機嫌の時もあるけど)

 

コミュニケーションをとる上で、弱者と強者の立場はいとも簡単に変わる。

最初は1人で主張していて(弱者)も、賛成する人が増えると強者になる。

強者になったからといって、今まで自分を否定してきた人(はもはや弱者である)を糾弾し仲間外れにし袋叩きにしていいのだろうか。

強者と弱者の関係は上記の例だけではない。いろんな状況で、弱者は強者になりうるし、強者は弱者になりうる。

 

その可能性を踏まえた上でお互いの主張や立場を考えながらコミュニケーションを取らねばと強く思う。

溝の埋め方

よかれと思ってやったことが、

人を傷付ける時もある。

 

その人のことが嫌いで、

善意を善意として受け取られない人がいる。

 

その2人の溝を埋めるには、どちらも相手の言葉を聞いて心を傾ける必要がある。

人間って其々が色んな考えを持っているし、心から100%相手のことを理解しきることなんてほぼ不可能だと思っている。

そんな事してたら、あまりにも大きすぎて抱えきれない。

人の悲しみも喜びも山盛りのしかかってきて、自分の心だけでは支えきれなくなる。

それが平常心でできる人はこの世にいるのかな。

 

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自分の幸せを守るために、人の話を聞かなくていい理由にはならないのに、どうしても相手を敵と認知して自分を守ろうとして相手を攻撃する。

 

相手がどういう気持ちでそれをしたのか、それをされてどういう気持ちだったのか、ゆっくり

ゆっくり相手との距離を縮めていかなきゃいけない。

自分の『聞いてほしい、分かってほしい気持ち』を抑えるのは多分結構キツい。

誰もが承認欲求を持っていて、普段それが満たされていない人は尚更だ。

でも、そうまでして話を聞きたい相手かどうかは自分で考えるしかない。

 

私は誰であろうが、人の話を聞くことのできる人になりたいのです。

今はほぼ出来ていないから。

人の話を遮ってしまうし、まとめたがるし、

強気に出てしまいがちなところはとてもよくない、黙ります。

 

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とある嫁姑問題に触れて、色んな感情が吹き出して涙が出た。

そのあとで自分のことを省みて、やっぱり課題だなと思ったのです。

 

深夜2時

こんばんわ〜秋だ〜

頭も身体もオーバーヒートしていた夏が過ぎて、少しずつクールな自分に戻ってきた。(嘘)

夜更かししてる肌にひんやりした風が心地よい。

 

久しぶりにだらだら書きたくなったので近況をば。

もうここ1,2年はず〜〜〜っと仕事している。自分を使って表現もしていないし、あまり人とも触れ合ってない。不思議な感覚だ。

週に1度は遊んでいた時が懐かしいな。

勿論仕事ばかりでは息がつまるので、定期的に友人に会うようにはしているのだけど、それにしてもスパンが長い。

 

まだまだ出来ることがありすぎるので、仕事をしていないと落ち着かなくなってきた。悠長にしている時間はあまりない。

緊急の仕事は、それだけをやっていればいいような錯覚に陥るんだけど、それ以外に長い目で見て大切な仕事はたくさんあるので出来る限り手をつけたくなる。

 

ブログは書かなくなったけど、その代わりにノートを使いだして、それはなんとなく続いていますし、手で書くのはやはり大切なことだと再認識します。

フリック入力だと、例えば『予定』は『↓→←』だし文字が持つ熱が、目で見るまで感じられなくて、その熱は電子レンジで温めたお湯みたいな感じ。

手書きは焚き火でじっくり沸かすお湯、という感じで書いている途中から文字が熱を帯びる感じ。

 

ベランダの植物に手がつけられていない。彼らも夏に疲れていて、早く刈り込んで綺麗にしてあげたい。

 

朝は早く起きてます。早く起きて本を読んだり文字を書いたり。その時間は割と楽しいです、脳と話している気がして。

 

そんな毎日です。

 

生きてる限りはやることがたくさんあって、でも慌ただしい生活に追われることなく、自分で舵取りをしながら生きてゆきたいです。

やるべきことはやる、やらなくていいことはやらない。

人生は短いので、ちゃんと考えながらやらなくていいことはなるべくやりたくないなーと最近は思います。

やるべきことは何歳になっても、失敗しながらやる。(^ ^)

いいカッコしい

ブログを書くとき、人から見られていることを感じて意識してしまって、それなりのものを書き上げたくなってしまいカッコつけてしまうので、スケジュールや気付きなどをノートに書いている。

 

何かに気付いて、そこから考える習慣がないので結果独りよがりになってしまいダサい。

別に人はいいんだけど、自分がずっとそうだと嫌だな。

私はカッコつけしいだから、ダサいのは嫌いだ。

理知的な人間になるにはどうしたらいいだろうか。

色んな人に助けられてる

昨日から気分が落ち込んでいるのだけど、

一緒に頑張ってくれる人が増えてきてとても嬉しいです。

 

1人でやるより心持ちが穏やかで、キャパシティオーバーしていないなという実感があります。

今日しっかり休んでまた明日しっかり生きよう。

宇多田ヒカル先生が、人生はイメージにすぎなくて、あるのは今日の過ごし方なんだって。

ほんとにそう思う。