LADYISM

書く練習

変化を拒まない者だけが

生き残る。

 

昔はクーラーなんて無かったから、今も無しで生活する。

この商品には自信があるし、今売れてないだけでいつかきっと売れる。

自分は絶対に正しくて、自分以外の人は間違っている。

 

窪みに溜まった水でも最初は生きられるが、水中の酸素が無くなったり水が濁れば死ぬ。流れ続ける川は、腐らない。

ただ、生き残るか死ぬかは確率の問題で、運の話だ。水質にのみ注目した場合前者は生き残る確率が低いし後者は高いというだけ。

最終的には、自分がどちらが良いか選べばいあだけなんだけど。

 

自分1人の小さなこだわりのために、自分の世代だけで流れを止めて終わってもいいならいいのだけど、私たちはもっと大きな流れの中で生きている(と私が思っているだけだけど)のだから自分の中や血族内とかだけじゃなくて、地球規模で自分を見つめたい。

いい仕事がしたい

お客様が満足する品質と価格を求める。

良いものを作る為に会社の利益を考える。

 

仕事はシンプルな構造だと思うのだけど、

誰かが多くを求め過ぎたり、

ズルしたり、

不真面目に働く事で、

そのシンプルな構造は一気に崩れる。

 

一人一人(お客さんも)が自分の役割をしっかりはたしてより良い世界にしたい。

 

と、納品された不良だらけの商品を見て思う。

誰のためのおしゃれか

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おしゃれが好きだった。

今も勿論好きなのだけど、

おしゃれをして帰ってきた時の疲れ度合いが、昔と桁違いで違う。

 

気合いを入れた化粧もヘアスタイルも、好きな洋服さえ虚しい。

最近、『自分の好きなおしゃれを楽しんでいるのだったら、ここまで疲れるものだろうか?』

と考えてしまった。

 

私は自分のためにおしゃれを楽しんでいるのか、とても不安になった。

でもそういう疑問が出てくる時点で、

疲れて帰ってくる時点で、

自分のための装いではないように思えてくる。

 

では一体誰のための装い?

美しくいようとすることで自分の心の中から湧き出る自信や勇気は、分かる。

私の中にも実感としてある。

でも私のおしゃれは純粋なそれだけじゃなかった。

『人から美しく思われたい』『美で報われたい』という、

自己顕示欲も少なからず私の中にはあって、

美しくいようとすることで、何かしらの得(例えば社内での自分のポジションを確立する為とか)をしていたからおしゃれに気を遣っていた部分もあったのではないか、と思えてきた。

無論それは悪いことではないし、武器として使うのは有効であると思う。

しかし、今の私の生活で容姿だけを必死に磨いたとしても、自分の影響力に限界があることを身をもって感じる。

けれどそれだけでは生きていけない年代になってきた。

 

年齢を考えるとそろそろ容姿の美しさ、

若さ故の花は自分がそこそこ満足できる程度にして、

それ以外の知性や教養、品格の花を育てていきたい。

ぐずり

私の地元では、ぐずりのことを『ジラ』という。

 

そして私と私の恋人は、

当てどころのないイライラやモヤモヤした時、

『ジラ言っていい?!』という。

例えば自分の思い通りにいかない時に怒ったり(共同生活をしていると思い通りにいかないことは沢山あるし、その上で最終的には話し合いで決めるのだけど)、歯を磨きたくない!って意味不明なわがままを言ったり。

 

いきなり不機嫌になるのは、相手を困惑させるので、あらかじめ宣言するのはとてもいい案だと思う。

そして『ジラ』が出てしまった時には、

お互いにそれを受け入れる。

 

大人だし感情を制御しなきゃいけないんだろうけど、結局、大人とか言ってるけどみんな大人になんてなれてない。

我慢できるから大人なのかな…

何ができるようになれば大人なのか…

人間はどれだけ年を取っても、

子どもに戻れる時間が必要だと思う。

社会を生きるのに必要な鎧を外す時間が。

 

わけもなくお互いに『ジラ』をいえる関係は、

私にとってめちゃくちゃ必要だし、貴重だ。

友達

長年親友の友達がアメリカから帰ってきた。

その友達と話していると、

声の波長も、美意識も、考え方も、

自分の物とは少し違うのだけどどこか似ていてマッチする。

私の良い面は最大限に褒めてくれるし、

私の悪い面はきちんと教えてくれる。

声を荒げて怒らない。

 

私にはそういう友達がいてくれて本当にありがたいなと思う。

何でも簡単にこなせる人

私は比較的昔から要領が良いといわれ、勉強や仕事や遊びもそつなくこなしてきた。

でもそれは、ずば抜けて才能を感じさせるものではなく、ある程度の合格ラインというくらいのものであったけど、周囲も自身も納得するくらいのレベルではあった。

怒られることはほとんどなかったし、適度に褒められると自信にもなる。

 

中学生の頃からジャズダンスを始めたので、私はクラスの出し物のダンスの振り付けを任された。

でもダンスなんてやったことのない男子は、勿論出来ない人もいる。

その時に、なんで出来ないの?!って声を荒げたことを担任の先生に咎められたことを思い出した。

 

世の中には、お前みたいになんでも簡単にこなせる奴らばかりじゃないんだよ。出来ない人の気持ちもちゃんと考えるんだよ。って教えてくださった。

 

人を雇う立場になった今、そのことをもう一度振り返る。私にも初めてでうまく出来ない時もあったし、今でも私が知らない事に関しては素人で、学ぶ気持ちやうまく人に教える方法を考えることを怠ってはいけないなと思う。

世界で一番大きなベッド

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昔、集団キャンプに連れていかれたことがある。

細かいことはあまり覚えていないけど、1つだけ覚えているのが、キャンプファイヤーのあと芝生の丘にみんなで仰向けになって星を眺めようっていう時間。

 

寝転がってるのは丘なので背中にほんの少しのカーブを感じる。

芝生がチクチクするけど、昼間の太陽の光を吸い込んだのか土はほんのり温かくて、ただの地面なのに深く沈んで包み込まれている感覚。

紛れもなく私は世界で一番大きなベッドに寝ていた。

周りの友達か友達じゃないか分からない子達も一緒にベッドに転がっている。

でっかい自然が、どうぞって私たちを寝かせてくれてたなー。

 

顔の上には星空。

たまに飛行機がチカチカ通り過ぎたりして、あの時間は何度体験しても飽きないな。

 

気付いたら眠っていて周りの人はみんな帰っていた。たった1人で月明かりに照らされた丘で目を覚ますのは悪いものではなかった。

むしろいつまでも忘れない情景として今も心に残っているな。

少しの不安と物語が始まりそうな月明かり、怖くない幻想的な悪夢の様な感覚が、自然の大きさを更に感じさせてくれた。