LADYISM

書く練習

宝玉

久しぶりにきちんとワンピースを着て、ネックレスをつけて前髪を整えて。

これは実はかなり労力を要するのです。

 

美が1番大切な人にとってはそれに多くの力を割けるので、大変だけど楽しい。

子どもさんや家庭が自分の中での優先順位が高いと尚更、自分のことに時間をかけることは厳しくなっていく。

 

ゲームの中のHPとかMPって現実にもあると思っていて、1日の中で持ってるポイントを使って人は生活している。

それを私は『宝玉』と呼んでいて、寝ると回復する。でも翌日回復しきれないものは週末に回復させたりする。

それよりも1日の中でいつ何に宝玉を使うのか決めている。大変な作業ほど宝玉の消費が大きい。

 

自分の人生、何が大切で何を優先するのか自分で決めないと手から溢れてどうしようもなくなる。

ちなみに私の宝玉は25個で小さめ10センチ台、オパールのように乳白色ベースで虹色の光を小さく放つ。

小さめなんでそこそこ回復も早い。

 

あなたの宝玉はどんな宝玉かな〜。

楽しいこと

自分の心が喜ぶことを我慢するのは悲しい。

 

その事をやれば自分の心が喜ぶことを知っているのに、今怠けたいからとか遊びたいからとか無駄遣いしたいから等の理由で避けるのはもっと悲しい。

 

何に触れれば自分の心が喜ぶのか分からない(人はなかなかいなそうだけど)のは一番悲しい。

 

 

ゴロゴロしていても心は満たされず、疲れが取れる訳でもない。寧ろ疲れさえ忘れて、寝なきゃいけないのにずっとやっちゃう…!みたいな事で人間は満たされるんだと思う。

結局これ出来てればいつ死んでもいいんだよな極端な話。

 

自分にとって何が楽しいのか分からない人は、とりあえず色んな事に挑戦してみるしかないけど、手当たり次第ではなくてやっぱりまず最初は自分の心に『何してみよっか、どこ行ってみよっか』って聞いてみる事が大切なんじゃないかな。

何も返ってこないなら色んな本を読む。

 

やりたい事をいつかやるために、我慢して日常を過ごすなんて本末転倒だ。

接する人によって

私は自分自身のことをどちらかと言うと聞き役だと思っていて(そんなに話すこともないしw)、しっぽりした会になる事がおおいのだけど、先日会った子と話している時はめちゃくちゃ言葉がベラベラ湯水の様に出てきた。

 

これはなんなんだろう。

好みが合うということでも無さそうなのだけど、自分の芯が通っている人や、自信があって伝えたい想いがある人と話しているととても気持ちが良い。

(口上手な営業さんにヤラれてしまうタイプ)

 

いくら自信があるといっても相手との距離感が掴めずグイグイくる人との会話はとても苦手だし、とても静かな人との会話も物凄く気を遣ってしまう。

 

話題によってとか、面白い話とかじゃないの。

 

戦闘モードの人が自分の目の前に現れた時『ウラァ!!!』って向かっていけるのに、戦う準備が出来ていない人逃げ腰のフワフワした人とは戦えない感じ…すまねぇ俺にお前は殺せねぇ…

 

ただ『気が合う』と言ってしまえばそれまでなんだろうけど、初めましての人なのに昔からの友達みたいに話せる人っていて、これだから人との出会いは面白いなぁと思う。

なにごとも経験?

なんでも経験とかいうけど、経験を役に立てられるかどうかって本当その人次第だよな。

ただ『経験を積むこと』『なにかをやること』が目的になって、手当たり次第に色々経験してもどうなんだろ。

 

その前に自分はそれを『経験してみたいのか』を自分で決める必要がある。

経験したいのかよくわかんないけど、いつか読んだ本で、どっかで誰かが『なにごとも経験、人生無駄になる事なんてない』って言ってたから、とりあえず興味もないけどやってみるか…。

で、なにを得られるのか…?

 

経験するにも何か考えがあって、やってみて、楽しみとか痛みとかを知って、次に生かす。

そんなに必要以上に見つめ直す必要もないけど、『これはナシやな、やってはいけないことやな』とか『おっこれはいいやん、楽しいやん、じゃあこれもやってみたら楽しいんじゃないん?』みたいにどんどん自分の世界を広げていく。

間違えたと思ったら、ちょっと頭を冷やしてまた違う方向に進めてみる。

 

やりたいことない人っているのかな。

私はあるなーやりたいこと沢山。

やりたいこと別に無い人はどうすればいいんだろう。

やりたいことが無いことは悪いことではないけど、じゃあどうするのか、どこに向かうのかは自分の心と向き合って決める必要があるのだろうな。

やりたいことないんだったら、やりたいことが見つかるまで、とりあえず毎日を一生懸命生きてみる…とか…?

で、いつかやりたいこととか興味湧くものが現れるのを待つ…?

いや、『私はやりたいことが無いんだ』って自分の中で腑に落ちた人は待たなくてもいいのか。その人の中ではやりたいことが無いことは悪では無いのだから。

 

え、どうなんだろう、自分がもしなんのしがらみからも解放されて、生活費を稼がなくても良いのだとしても、やりたいことない人っているのかな。

仕事一筋のサラリーマンが定年退職して、自分とは何のために生きてるのか…ってなってしまうようなことを聞いたりもするのだけど、それに似たようなことなのかな…。

 

とくにやりたいことが無くて、でもそんな自分が好きだし、毎日楽しいです。っていう人と話してみたいな。

 

※3/16追加

あの時経験してよかったなぁ、って思うのは過ぎた後なんだよな。『経験』はストックしようとするものではなくていつのまにかストックしてるものなんだよ。

経験を積むためならビルから飛び降りるか?人を殺めるのか?

君は何のためにそれをしたいんだ?

自己肯定感はどうやったら高くなるのかな〜

自己肯定感についての、人の呟きをみて、自分の自己肯定感が低かった頃のことを思い出した。

 

いつか書いたことがあったかもしれないけど、口癖は『どうせ』だった。

物事を捻くれた見方をしていたし、自分なんて何もできないと思っていた。

 

そんな自分を変えてくれたのは(これも前に書いた気もするけど)ジャズダンスライブだった。

先生がカッコ良かったのは勿論だけど、今思えば出演しているみんなが素敵に輝いてた。

 

先生が私を変えてくれたのだと思っていたけど、多分変えてくれたのはあの空間なのだと思う。

舞台で演じる人は、自分のこと否定している場合じゃない。恥ずかしいなんて思っている場合じゃない。

楽しいから舞台に出ていて、自分を『見て!!』って感じで。

 

そんな人たちから伝わるパワーって半端ないんだよなー。

その空気感に負けちゃったんだと思う、ウジウジ考えて否定ばっかりの自分は。

 

私の自己肯定感がグンと上がったのは、そういうキッカケだから、体験に基づいて言うのであれば、なんか自分のことが好きになれない人は、自己肯定感が高い人が沢山いるところに行けばいいんじゃないかな。

 

勿論誰か目標だったり憧れだったりする人がいるのも素敵なことだと思う。

でも人って完全じゃないから、その憧れとする人にも色んな面があって、それが見えた時失望しちゃうんじゃないかな。

『あ〜やっぱこの人も、そうでもないんじゃん』って。

でもその『そうでもないんじゃん』が、『この人も私と一緒で人間味があるんじゃん』ってうまく働けばいいけど、まあ自己肯定感低いときにはそんな風には考えらんないんだよね。

 

『あなたなら私を救ってくれると思ったのに』

 

ってなっちゃうんだよね。そしてその人に失望して、そんな人に憧れた自分にも失望して、自分が自分の事を好きになれないことをその人の所為にして。

 

だから自己肯定感が高い人が沢山いるところに行けば、別に誰の所為にできるわけでもないし、自分が自分を嫌いなのは自分の所為だなって気付くと思うんだよね。。。

 

と、ここで簡単に考えて欲しくないのは、『〈私にとっては〉自分を舞台で表現しまくっている人達を見ることで自己肯定感が上がっただけ』

なので、これを読んでいるあなたにとっては、何の意味も為さないかもしれないです。

もしかするとあなたにとっては『しっかり自分の頭で考えて、人と対話しようとしている人たち』と触れ合うことで革命が起きるのかもしれないし、『植物から人間の生き方を学んでいる人たち』とか『人間は愚かだけど、愚かなりに一生懸命生きようとしている人たち』との出会いなのかもしれないし、はたまた『渋谷のクラブではちゃめちゃに楽しそうなパリピ』かもしれないってことです。

あなたの人生は、私の人生とは違うはずだからね。

 

で、どうすればいいの?って言われても困ってしまうのですが、今夜考えたことでしたので、流してください。

被害者⇄加害者

最近、よく考えるのは、

強く生きるための自信や自己肯定感、自分は正しいという傲慢さで、周りの人を傷付けているかもしれないということ。

 

ずっと被害者顔をして生きてきたのだと思う。

自分は他の人とは違うから特別なんだと、甘やかされるべき存在なのだと思って生きてきたのだろう。

 

自分が加害者側にたつかもしれない可能性を全く考えなかった。

時折他人から向けられる恐れや、苛立ちに対して、なんで自分が疎まれなくてはいけないのだろうと不思議に思っていたし、それに対してこちら側が苛立ちを覚えていた。

 

でも相手からの信号が、苛立ちや恐れなのだとしたら原因は対面している私にあるということになる。(相手が不機嫌の時もあるけど)

 

コミュニケーションをとる上で、弱者と強者の立場はいとも簡単に変わる。

最初は1人で主張していて(弱者)も、賛成する人が増えると強者になる。

強者になったからといって、今まで自分を否定してきた人(はもはや弱者である)を糾弾し仲間外れにし袋叩きにしていいのだろうか。

強者と弱者の関係は上記の例だけではない。いろんな状況で、弱者は強者になりうるし、強者は弱者になりうる。

 

その可能性を踏まえた上でお互いの主張や立場を考えながらコミュニケーションを取らねばと強く思う。

溝の埋め方

よかれと思ってやったことが、

人を傷付ける時もある。

 

その人のことが嫌いで、

善意を善意として受け取られない人がいる。

 

その2人の溝を埋めるには、どちらも相手の言葉を聞いて心を傾ける必要がある。

人間って其々が色んな考えを持っているし、心から100%相手のことを理解しきることなんてほぼ不可能だと思っている。

そんな事してたら、あまりにも大きすぎて抱えきれない。

人の悲しみも喜びも山盛りのしかかってきて、自分の心だけでは支えきれなくなる。

それが平常心でできる人はこの世にいるのかな。

 

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自分の幸せを守るために、人の話を聞かなくていい理由にはならないのに、どうしても相手を敵と認知して自分を守ろうとして相手を攻撃する。

 

相手がどういう気持ちでそれをしたのか、それをされてどういう気持ちだったのか、ゆっくり

ゆっくり相手との距離を縮めていかなきゃいけない。

自分の『聞いてほしい、分かってほしい気持ち』を抑えるのは多分結構キツい。

誰もが承認欲求を持っていて、普段それが満たされていない人は尚更だ。

でも、そうまでして話を聞きたい相手かどうかは自分で考えるしかない。

 

私は誰であろうが、人の話を聞くことのできる人になりたいのです。

今はほぼ出来ていないから。

人の話を遮ってしまうし、まとめたがるし、

強気に出てしまいがちなところはとてもよくない、黙ります。

 

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とある嫁姑問題に触れて、色んな感情が吹き出して涙が出た。

そのあとで自分のことを省みて、やっぱり課題だなと思ったのです。