LADYISM

書く練習

人付き合い

『フットワーク軽い友達を作る』とか

『もらった誘いは断らない』とか

自己啓発本に書いてあるような言葉を信じがちな自分。

 

最近になってそれが疲れるなぁと感じる自分がいて、それは目先の利益のために無理をしているからであって、そんなのはもうどうでもいい。

自分に必要なことを自分で選定しなくてはいけない。

会いたい人に会える時に会えばいい。

行きたい時に行きたいところに行けばいい。

 

フットワーク軽い友達がいないのは、自分に魅力がないから会ってくれようとしないだけで、自分の責任である。

会いたい人間であれば会おうとする。

 

余計な感情をいれずに、シンプルに人付き合いをしたい。

人の気持ち

人の気持ちが分かる人というか、

人の気持ちに寄り添える人になりたい。

 

人の気持ちは分からないから、

気遣いができたり人の話を聞こうと思えるのではないかな。

 

人間関係において、人の気持ちになって考えるというのは独りよがりに陥ってしまいがちだと思うので、人の気持ちを“いろんな方面から”考えられる人、というのは念頭に置いておく必要がありそうです。

開くと痛い

思っていることを相手に伝えられる人って、どのくらいいるのだろうか。

そして、そうすることを善しとしている人はどれくらいいるのだろうか。

 

世の中には本当の事なんて知りたくないという人もいる。

真実はどちらでもよくて、本当の気持ちを相手に伝える事よりも、相手の顔色を伺いながら生きることを選んだ人。

その人達の気持ちも分かる。空気感は大切だし、協調性を乱すことはある見方をすれば組織の破滅に繋がる。

 

ただ私は、出来ることならばなるべく自分の気持ちを相手に伝えて生きたい。

心はとても柔らかいので、ストレートな気持ちに触れると当然痛い。

けれど自分が真実に触れようとするその痛みを知っていれば、どういう伝え方をすれば相手へのダメージを少なく出来るかを考える。

 

そうやって、痛いけどずっとそれを繰り返して生きていたい。

できれば皆んなが伝えたいことを伝えられる世の中であって欲しい。

皆んなが慣れたら痛いことも少なくなるだろうしね。

繊細さの度合い

中学生の頃にジャズダンスに初めて触れて、

それまでのネガティブで自己嫌悪しかしない私は吹っ切れた。

今までの自分より、自分のことがもっと好きになれる感覚は、すごく気持ちが良かった。

 

中学のクラスの出し物でダンスの振り付けを任された。

私は根暗な自分を変えてくれたダンスは、きっと誰でも皆んなの心を溶かすと思った。

振り付けを考えるのも教えるのも楽しかった。

 

でもそんな中、クラスの男の子のなかで1人だけ全然思うように上手くできない子がいた。

上手く踊れないだけではなく、その子は恥ずかしそうにもじもじして一生懸命取り組んでくれなかった。

それがとても私は嫌だった。

分からないながらも1人で考えた振り付け、毎日の練習指導。

私と、私の大好きなダンスを馬鹿にされている気がして、とても悔しかった。

今思うと、分からなくても出来なくてもいい、けれど、一生懸命やって欲しかったのだと思う。

 

私は彼に、『ちゃんとやって、いい加減覚えてよ』と強要した。彼はずっともじもじしていた。

その光景を見ていた担任の先生が『お前が簡単に出来ることでも、皆んながそうとは限らないんだ。相手の気持ちを考えないといけない。』と叱ってくださったことを今でも思い出す。

私は、彼がどんな気持ちでいるのかを聞くこともしなかったし、どこが分からないのかも聞かなかった。

私は私の好きなダンスを、彼に伝えられなかった。それどころか、彼はダンスを嫌いになってしまったかもしれなかった。

その頃の私はなぜ私が叱られなければならなかったのか分からなかった。

 

今では頭では理解しているつもりだけど、なんの気無しに口にした言葉が相手を傷つけたり、理由が分からない時にどうしても自分の正当性を主張したくなる時がある。

人と何かに取り組む時、その様な過ちをしないように強く意識して人と接さないといけないと強く思う。

 

人によって、物事や言葉の受け取り方は違っていて、それは勿論悪いことではないし、相手に強要されることでもない。

『傷付いた』と相手に簡単に伝えられない人もいる。

 

奢ることなく客観的な視点と相手への尊重を忘れずに生きたい。

 

色んな家族の形

私の家族は仲が良い。

でも昔からめちゃくちゃ仲良しだった訳じゃなくて、それなりに紆余曲折ありました。

 

家族といえど自分以外の人の集まりなので、何かしら問題は出てきます。

いっぱい泣きました。

いっぱい泣かせました。

大嫌いな時もありました。

でも心は離れませんでした。

今では胸を張って大好きな家族と言えます。

 

無理に取り繕うことも無くていい。

伝えたいこと伝えればいい。

顔色を伺わずに、でも相手の気持ちも考えて付き合えばいい。

自然に、でも逃げずにきちんと向き合えばいい。

それは家族だけではなくて、全部の人間関係に言えることだと思う。

 

自分から心を離さなければ、いつかその家族ごとのあるべき形がみえてくるのではないかなぁと思います。

別に必ず仲良しで無くてはいけないこともない、ある程度距離を置いた方がよい関係を築けるならそれもそれでよし。

男のための自分

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最近自分に少し失望したことがある。

 

今までもどこか心の片隅では気付いていたんだろうけど、見て見ぬふりをしていたのだろうかな。

 

オリバーというディズニーの映画に出てくるジョルジェットという犬が歌う歌詞で

『他人の為に進んでポーズ、毛並みの良さ、私は荷が重い。みんなが褒める、だから頑張る。』というところがあって、ものすごくここに共感している自分がいることに気づいた。

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勿論、ジョルジェットは自分に完璧に自信があって『ハァ身だしなみなんてうんざり…💋』と半ば嫌味のように歌を歌うし、自信がいまいち持ちきれない私からみると清々しいほどにカッコいいので、全然別物なんですけど…。

 

私のメイクや格好は完全に男の目を気にしてのファッションだった!!

最近全然おしゃれをしなくなって、普段デニムとTシャツで生活をしていて、久しぶりに気合を入れて街に出かけた帰宅後、猛烈に疲れていることがずっと気になっていて、なんでだろうって思った時にめちゃくちゃ人の目を気にしているんだ自分!!ってなって…。

 

自分が好きなファッションではあるのだけど、誰がなんと言おうとこのポリシーは曲げない!!みたいな強い意志、志みたいなものというよりは、そこには赤黒い下心があることに失望しました。という話。

 

男のためのメイクやファッションじゃない!と胸を張って言える世の女性がキラキラ見えた。

今日だめでも明日生きる元気

今日いっぱい泣いても

怒ってしまっても

ひどく後悔しても

自分に失望しても

 

美味しいものを食べて

ちょうど良い湯加減のお風呂に浸かって

好きな香りを焚き

静かな音楽を聴きながら

綺麗に整えたベッドで眠る。

 

上の方法は私が好きなやり方だけど

そういう『自分の』メンタルを整える術を

人から聞いたものでも良いからやってみると

随分と心が落ち着く。

 

なんでも良いから

ゆっくりでも良いから

自分の切り替えスイッチを持っていると

明日からとても生きやすいよ。