LADYISM

書く練習

一緒に働く人

自分たちで一緒に働く人を決めるのは、相手にとっても自分にとっても大切なことだから真剣になる。

 

大概は最初の話した感じや表情で分かるし、大人になるとみんなあまり自分を良く見せようとか気張らないし、自分に何ができるか把握している人が多いので、色んな意味で汲み取りやすいのだけど。

自分が何をしたいか何が得意かを知っている人は強い。

 

人選にあたって、こんな経験は滅多にできない経験だと実感する。

 

自分の人生は、自分の大好きな人でいっぱいにしたい。

 

ポジティブになるためにやってる

友達のバンドマンがライブの時にMCで言ってたことが印象に残っている。

 

どうにかして自分の幸せを見つけようと頑張る、その努力はとても美しいしカッコいい。

 

そしてその努力は自分のためだけではなくて、絶対に誰かの幸せに繋がっている。

 

せっかく1日1日命を削っているのだから、まず自分の幸せ、その次にその自分の幸せが自分の大切な人を幸せにできることを信じて、生きる。

パーソナルスペース

人間には他人に入って来て欲しくない距離感があって、どんなに仲の良い人でも、ずっと一緒にいるとイライラしてしまったり、ずっと姿が見えたりそばにいると落ち着かないってことが結構あると思う。

 

私はありがたいことに、家族にはパーソナルスペースを侵されても嫌ではない。なかには家族でも気を使ってしまう人もいると思う。

パートナーも然りで、そういう人に出会えたのは本当に運が良かったと感じる。

 

毎日の電車だってキツい。知らない人と無言で肩を並べるのだから。

 

パーソナルな部分を侵されると、人の目は死んでいく。

 

パーソナルスペースってナワバリみたいなものじゃないかな、ナワバリを守るために目にキラキラ野性味が溢れる。

恐怖心からのナワバリ意識ではなく、『この気持ちは譲れないよ』とか『誰がなんと言おうと私はこう生きるんだ』とか。

そういう人は目が輝いている。

みんな今すごく疲れているし、なかなか心にパーソナルスペースを確保できなくて、迎合してしまうのだと思う。

 

目が輝いている人って、他人からの心の中への侵略に打ち勝てている人じゃないかな。

そういう人が偉いとか、勝ちだとかは思わないけど。

嫌な人になってしまうのは一瞬

自分がどんなに気をつけていると思っていても、自分にとっては幸せでも、相手にしてみれば嫌なことだってある。

美味しい生クリームだからといって胃もたれしてる人の口に無理矢理突っ込むのは、悪になってしまう。

 

気を抜くと、一瞬で、相手にとって嫌な、会いたくない人になってしまう。

その可能性が十分にある事を考えて行動・発言すること。

 

『このくらいでいいんじゃない』という適当さでもなく、

『こうしたいからこうする』という傲慢さでもなく、

『この状況ではこれが適切であろう』と考えた上で行動すること。

 

気付かないうちに人を傷付けていることは、ある。ただ生きているだけでね。

書いていてよかった

自分が何を考えているのか、考えようとしているのかを知るため、考える習慣をつけるために始めたブログ。

 

かっこいいこと書いてないけど、ほんの少しの人でも見てくれていてとても嬉しい。

 

最近外国で頑張っている友達から連絡があって、私のブログを読んでいて一緒に何かやりたくなったとのこと。

自分が何かを綴っていて、それに対して何かしらの反応があるのはとても幸せな気持ちになる。

 

絵や音楽や小説や、自分の内面の表現で返ってくる反応もまた素晴らしいのだろうな。(私のこれとは全然違うことなのだろうけど)

頑張り方

今までの私はエネルギーを小出しにして、1日のうちずっと長く仕事をするやり方だった。

 

けれど、『ガッ!』と1時間集中して5分休んで、という頑張り方をすると効率がいいし覚えていることやひらめきも多い。

お腹も空く。夜も、ものすごく疲れて眠くなる。

 

しっかり集中して、しばらく休む。

 

やったことを自分のもの・スキルにするにはこのやり方はとても良い。

今をとるか未来をとるか

自分が今心地良くいられて幸せなことは一番良い。

 

でも将来の自分の目標の為に、今は少しキツくても、自分を律して奮い立たせることもまた心地よい。

 

どっちが良いということもなく、どっちも素晴らしく、自分にとっての幸せとは何かを今一度考えてみる。

 

(私は今の幸せも未来の幸せも両方欲しいけど)