LADYISM

書く練習

誰のためのおしゃれか

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おしゃれが好きだった。

今も勿論好きなのだけど、

おしゃれをして帰ってきた時の疲れ度合いが、昔と桁違いで違う。

 

気合いを入れた化粧もヘアスタイルも、好きな洋服さえ虚しい。

最近、『自分の好きなおしゃれを楽しんでいるのだったら、ここまで疲れるものだろうか?』

と考えてしまった。

 

私は自分のためにおしゃれを楽しんでいるのか、とても不安になった。

でもそういう疑問が出てくる時点で、

疲れて帰ってくる時点で、

自分のための装いではないように思えてくる。

 

では一体誰のための装い?

美しくいようとすることで自分の心の中から湧き出る自信や勇気は、分かる。

私の中にも実感としてある。

でも私のおしゃれは純粋なそれだけじゃなかった。

『人から美しく思われたい』『美で報われたい』という、

自己顕示欲も少なからず私の中にはあって、

美しくいようとすることで、何かしらの得(例えば社内での自分のポジションを確立する為とか)をしていたからおしゃれに気を遣っていた部分もあったのではないか、と思えてきた。

無論それは悪いことではないし、武器として使うのは有効であると思う。

しかし、今の私の生活で容姿だけを必死に磨いたとしても、自分の影響力に限界があることを身をもって感じる。

けれどそれだけでは生きていけない年代になってきた。

 

年齢を考えるとそろそろ容姿の美しさ、

若さ故の花は自分がそこそこ満足できる程度にして、

それ以外の知性や教養、品格の花を育てていきたい。