LADYISM

書く練習

繊細さの度合い

中学生の頃にジャズダンスに初めて触れて、

それまでのネガティブで自己嫌悪しかしない私は吹っ切れた。

今までの自分より、自分のことがもっと好きになれる感覚は、すごく気持ちが良かった。

 

中学のクラスの出し物でダンスの振り付けを任された。

私は根暗な自分を変えてくれたダンスは、きっと誰でも皆んなの心を溶かすと思った。

振り付けを考えるのも教えるのも楽しかった。

 

でもそんな中、クラスの男の子のなかで1人だけ全然思うように上手くできない子がいた。

上手く踊れないだけではなく、その子は恥ずかしそうにもじもじして一生懸命取り組んでくれなかった。

それがとても私は嫌だった。

分からないながらも1人で考えた振り付け、毎日の練習指導。

私と、私の大好きなダンスを馬鹿にされている気がして、とても悔しかった。

今思うと、分からなくても出来なくてもいい、けれど、一生懸命やって欲しかったのだと思う。

 

私は彼に、『ちゃんとやって、いい加減覚えてよ』と強要した。彼はずっともじもじしていた。

その光景を見ていた担任の先生が『お前が簡単に出来ることでも、皆んながそうとは限らないんだ。相手の気持ちを考えないといけない。』と叱ってくださったことを今でも思い出す。

私は、彼がどんな気持ちでいるのかを聞くこともしなかったし、どこが分からないのかも聞かなかった。

私は私の好きなダンスを、彼に伝えられなかった。それどころか、彼はダンスを嫌いになってしまったかもしれなかった。

その頃の私はなぜ私が叱られなければならなかったのか分からなかった。

 

今では頭では理解しているつもりだけど、なんの気無しに口にした言葉が相手を傷つけたり、理由が分からない時にどうしても自分の正当性を主張したくなる時がある。

人と何かに取り組む時、その様な過ちをしないように強く意識して人と接さないといけないと強く思う。

 

人によって、物事や言葉の受け取り方は違っていて、それは勿論悪いことではないし、相手に強要されることでもない。

『傷付いた』と相手に簡単に伝えられない人もいる。

 

奢ることなく客観的な視点と相手への尊重を忘れずに生きたい。