やり続けること
自分が決めたことに時々疲れて歩みを止めても、
また明日から頑張ろうと思って、
ちゃんと明日から頑張ればそれでいい。
『ひとやすみ』がなかなか許せない人っていて、自分を責める。
でもそこでぐじゃぐじゃ言い訳して歩みを止めていることの方が本末転倒で、よし、って切り替えて次からまたちゃんと歩き続けることは、本当に大切なことだと思う。
自分の憧れや夢を目指すなら、プライドとか理屈とかイメージとかも必要かもだけど、現実を歩き続ける力がとても大切だと思う。
映画
今日は頭が空っぽになるカッコいいだけのアクションスパイ映画とか泥棒映画とかだけを観た。
今日の私にはそれとビールが必要だった。そういう日。
急いでやらなくてはいけない仕事がスケジュール的にいっぱいで、一息つけなかった。
また明日からは冬に向けて頑張らなきゃな。
のんびりが好き
血の流れがゆっくりなのか、
音楽もお風呂も家事も食事も仕事も、
ゆっくりが好き。
テキパキする時はするんだけど、
余裕ある心構えが幸せを運んでくる。
(と思っている)
大衆性を持った提案
分かる人にだけ分かれば良いという気持ちも持っていたし、今も持っている部分もあるのだけれど。
やはり生きているうちは、より多くの人と触れ合いたいし、色んな考えや感性を交換したい。
私の小さな力で、幸せにできる人が1人でも多くいて欲しい。
そう思うようになって、やはり大衆性を含んだ提案や表現の重要度が身にしみる。
そこは避けては通れないと感じる。
その『大衆性』というのがまだ全然分からないけど意識はしておく、頭の片隅には置いておく。
笑い
久しぶりの友達と会って爆笑するだけで幸せになる。
ほっぺたもお腹も痛くなる。
私の人生において絶対に失いたくないものは、笑いだ。喜怒哀楽でいうと『楽』が無くなることが一番嫌だな。
笑いがあるだけで、相手との距離がぐっと縮まる。笑い合うたびに近くなる。
笑い合えた人とは信頼関係ができ、相手を信じられるようになる。
メモ
『明るく静かに澄んで懐かしい文体、
少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、
夢のように美しいが現実のようにたしかな文体』
(原 民喜)
私≠相手にとっての私
私のことを馬鹿だと思うのは、相手の人間性の問題だ。
だから私はそれに合わせて従って、自分のことを馬鹿と蔑む必要はないんだ。
今までずっとそれをやってきたから、年月が経つにつれて昔一生懸命に育てた自信がどんどんしぼんでいっていたんだな。
馬鹿にされたとしても、
・自分の発言が相手の求めるレベルではなかったことを認める
・自分が何を伝えたかったのかを整理し直して伝える
・自分の発言で相手が何を感じたのかを考える
この3点については常に意識しておこう。
相手に合わせる必要はないけど、相手の考えを尊重する必要はある。
『馬鹿』という挑発に乗って感情的になった時点で私の負けだな。